5年目の9.11
投稿日時:2006/09/11
■今日の名言
「酒は何を飲むかよりも 誰と飲むかが重要」
-林田浩暢(若竹屋酒造場14代目社長)-
BLOGランキング↑大好きな言葉です!
テロでお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。
9月11日(月)曇り
■09.11.2001 北九州市にて
5年前の夜、NYの超高層ビルに飛行機が突っ込むのをテレビで見た。
2機目が突っ込んだのを見た時、これはテロだと初めて気づいた。
■09.15.2001 NEW YORK
事件4日後の9月15日深夜、僕はニューヨークの地に立っていた。
FNN系列記者の緊急取材要員として現地に派遣されたのだった。
僕らの飛行機が無事にJFK空港に着陸した時、機内では拍手が起こった。
勇気をもって操縦してくれたアメリカン航空の機長に対する感謝の拍手だった。
(話が少し後戻りします)
■09.11.2001 北九州市
2機目の飛行機がビルに突っ込むのを見て僕は電話を取った。
大事件があれば出動を気にする。記者の習性みたいなものだった。
当時勤めていた局の本社では当直の斉藤先輩が同じように特番を見ていた。
高橋「これ、テロですよね?」
斉藤「テロやろうなぁ・・・」
高橋「何か僕らにできることありますかね?」
斉藤「いやぁ~まだ今のところはなさそうだけど」
高橋「えらいことになりそうですねぇ」
斉藤「そうやなぁ・・・」
などと所在無いやり取りを交わしたのを鮮明に覚えている。
まさかその後現地入りを命じられるとは思いもよらず。
■09.13.2001 北九州市
テロの2日後、本社の報道部長から電話が鳴った。
部長「お前、I(アイ)ビザ持ってたよな」 ※I=報道関係者に発行されるビザ
高橋「はい」(も、もしや・・・)
部長「NY行くか?」
高橋「・・・、行けるのなら行かせてもらいたいです」
部長「よし、じゃぁ今から準備をして本社へ上がって来い!」
NY行き“辞令”の電話は1分もかからなかった。ほぼ即決だった。
不思議と僕自身はNYへ行くのが怖ろしいとは思わなかったが、
妻の心配は容易に想像できた。案の定、NY行きを告げると彼女は泣いていた。
■09.17.2001 NEW YORK
WTCビルでは福岡の西日本銀行の2人の行員が行方不明になっていた。
瓦礫の山と化した超高層ビルの残骸は高さ30メートルもの巨大さだった。
金属とコンクリートの巨大な塊からは何日経っても煙が立ち上り続けており、
ジュリアーニ市長の励ましの演説も市民の絶望感を消すことはできなかった。
■09.25.2006 NEW YORK
WTCビル跡では瓦礫からの捜索作業が行われる一方、
アメリカという国は日に日に軍事行動の機運を高めていっていた。
どんどん町を埋め尽くしていく星条旗。
飛ぶように売れていくビンラディンの顔にWANTEDの雑誌。
テレビでは遺族の悲しみや命を落とした消防士の映像が繰り返し流れた。
悲しい音楽とともに、右のこぶしを突き上げるブッシュの表情も。
まるでアメリカ国民の怒りを煽る演出のように僕の目には映った。
■AND THEN...
テロからわずか4週間後の10月7日。アフガン空爆が始まった。
あれから5年、イラクへと飛び火した戦火は未だ収まっていない。
テロで夫を亡くしたある女性が僕に語った言葉が、今も耳に残っている。
「テロは新たなテロを生むだけよ」
■ニューヨークその後
帰国後、僕は現地で見た一部始終をドキュメンタリー化させてもらった。
署名番組という条件付きだったがドキュメント制作にゴーサインを出して
下さった高木PとTNCの懐の深さに感激したのを今も鮮明に覚えている。
あれから5年が過ぎた。今宵はあの番組を見直してみようと思う。
☆今日はしめやかに
追悼のBLOGランキング
□今日のモチマネワード
モチマネワード424:5年目の9.11

□09/11(月)の凡事徹底リスト
○ 早起き7時まで
○ 凡事チェック
○ 年間目標を読む
◎ ブログを書く
○ 新聞(ニュース)
◎ 握手&大声挨拶
○ 長風呂読書:富裕層マーケティング
○ 腹筋100回or体操10分間
○ 人(刺激)に会う:KK28氏
○ 家族、先祖に感謝
○ チーム、友人、客に感謝
○ 10人にありがとう
○ 5人からありがとう
○ お礼ハガキ/メール/FAX
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「酒は何を飲むかよりも 誰と飲むかが重要」
-林田浩暢(若竹屋酒造場14代目社長)-
BLOGランキング↑大好きな言葉です!
テロでお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。
9月11日(月)曇り
■09.11.2001 北九州市にて
5年前の夜、NYの超高層ビルに飛行機が突っ込むのをテレビで見た。
2機目が突っ込んだのを見た時、これはテロだと初めて気づいた。
■09.15.2001 NEW YORK
事件4日後の9月15日深夜、僕はニューヨークの地に立っていた。
FNN系列記者の緊急取材要員として現地に派遣されたのだった。
僕らの飛行機が無事にJFK空港に着陸した時、機内では拍手が起こった。
勇気をもって操縦してくれたアメリカン航空の機長に対する感謝の拍手だった。
(話が少し後戻りします)
■09.11.2001 北九州市
2機目の飛行機がビルに突っ込むのを見て僕は電話を取った。
大事件があれば出動を気にする。記者の習性みたいなものだった。
当時勤めていた局の本社では当直の斉藤先輩が同じように特番を見ていた。
高橋「これ、テロですよね?」
斉藤「テロやろうなぁ・・・」
高橋「何か僕らにできることありますかね?」
斉藤「いやぁ~まだ今のところはなさそうだけど」
高橋「えらいことになりそうですねぇ」
斉藤「そうやなぁ・・・」
などと所在無いやり取りを交わしたのを鮮明に覚えている。
まさかその後現地入りを命じられるとは思いもよらず。
■09.13.2001 北九州市
テロの2日後、本社の報道部長から電話が鳴った。
部長「お前、I(アイ)ビザ持ってたよな」 ※I=報道関係者に発行されるビザ
高橋「はい」(も、もしや・・・)
部長「NY行くか?」
高橋「・・・、行けるのなら行かせてもらいたいです」
部長「よし、じゃぁ今から準備をして本社へ上がって来い!」
NY行き“辞令”の電話は1分もかからなかった。ほぼ即決だった。
不思議と僕自身はNYへ行くのが怖ろしいとは思わなかったが、
妻の心配は容易に想像できた。案の定、NY行きを告げると彼女は泣いていた。
■09.17.2001 NEW YORK
WTCビルでは福岡の西日本銀行の2人の行員が行方不明になっていた。
瓦礫の山と化した超高層ビルの残骸は高さ30メートルもの巨大さだった。
金属とコンクリートの巨大な塊からは何日経っても煙が立ち上り続けており、
ジュリアーニ市長の励ましの演説も市民の絶望感を消すことはできなかった。
■09.25.2006 NEW YORK
WTCビル跡では瓦礫からの捜索作業が行われる一方、
アメリカという国は日に日に軍事行動の機運を高めていっていた。
どんどん町を埋め尽くしていく星条旗。
飛ぶように売れていくビンラディンの顔にWANTEDの雑誌。
テレビでは遺族の悲しみや命を落とした消防士の映像が繰り返し流れた。
悲しい音楽とともに、右のこぶしを突き上げるブッシュの表情も。
まるでアメリカ国民の怒りを煽る演出のように僕の目には映った。
■AND THEN...
テロからわずか4週間後の10月7日。アフガン空爆が始まった。
あれから5年、イラクへと飛び火した戦火は未だ収まっていない。
テロで夫を亡くしたある女性が僕に語った言葉が、今も耳に残っている。
「テロは新たなテロを生むだけよ」
■ニューヨークその後
帰国後、僕は現地で見た一部始終をドキュメンタリー化させてもらった。
署名番組という条件付きだったがドキュメント制作にゴーサインを出して
下さった高木PとTNCの懐の深さに感激したのを今も鮮明に覚えている。
あれから5年が過ぎた。今宵はあの番組を見直してみようと思う。
☆今日はしめやかに
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モチマネワード424:5年目の9.11

□09/11(月)の凡事徹底リスト
○ 早起き7時まで
○ 凡事チェック
○ 年間目標を読む
◎ ブログを書く
○ 新聞(ニュース)
◎ 握手&大声挨拶
○ 長風呂読書:富裕層マーケティング
○ 腹筋100回or体操10分間
○ 人(刺激)に会う:KK28氏
○ 家族、先祖に感謝
○ チーム、友人、客に感謝
○ 10人にありがとう
○ 5人からありがとう
○ お礼ハガキ/メール/FAX