ドラクエ8とレベルファイブ
投稿日時:2004/11/29さっき広島出張から帰って来て残務処理が一段落したので、発売から一日遅ればせながら、不肖高橋、ドラクエの新作に興じてみようと思います。ブログを書くこの手も少々興奮気味です。
「おいおい高橋!なに遊んでんの?ちゃんとビジネスろよ!」
という声が聞こえてきそうです。が、実はドラクエをプレイするのは私にとってちゃんとしたビジネス。大切な仕事の一つなんです。本当ですよ!ドラクエ8を制作したレベルファイブ社(本社福岡市)とは少々縁があるんです。
私がまだテレビの報道記者だった2003年(去年)、私はレベルファイブ社に半年間にわたって密着取材をし、ニュースおよびミニドキュメントとして数回にわたって放送させてもらった経緯があります。(ロサンゼルスまで日野社長に密着しました)
その経緯はこんな感じです。
ある日突然、私の所にある一報が届きました。
「あの【ドラクエ】の新作を福岡の会社が作ってるらしい!」
驚天動地!
中学1年生でドラクエ1と出会い、以来20年間、「超」の付くドラクエファンを自認し続けている私にとって、自分が住むこの地福岡であのドラクエが!?まさに天から降ってきた超スクープでした。
初めて取材したのは2003年3月。当時のレベルファイブは今ほど知名度は高くなく「知る人ぞ知る」という感じの会社でした。当時はまだ週刊ファミ通など一部のゲーム誌以外、一般のメディアはどこも「レベルファイブ社がドラクエを!」というニュースを取り上げていませんでした。つまりスクープになったんです。
そうしたこともあり、私と当時私がいたテレビ局(テレビ西日本)はほぼ独占的な形で密着取材することができました。例えば、ドラクエ8の制作室の前でセキュリティーカードを借りて「ここから先は立ち入り禁止です!」ってリポートしたり、日野社長と週刊ファミ通の浜村社長との「トップ会談」のシーンをスクープしたりもしました。
あの当時から日野社長は「福岡をゲーム業界のハリウッドに!」という熱い思いを抱いておられ、ことあるごとに語っておられました。そして、その想いに惹き付けられるように全国各地から若い優秀なゲームクリエイターたちが集まり始めていました。
2003年5月、私は日野社長の密着ディレクターとしてロサンゼルスへ渡航。世界最大のゲームショー「E3」の取材でした。現地アメリカではゲームクリエイターに対する「リスペクト、尊敬の念」というのがしっかり根付いていて、メガヒットを次々と世に送り出す日野晃博という人物は注目の的、Xboxのパーティーで締めの挨拶を任されるほどでした。
私は、滞在中のホテルが日野社長と同じだったこともあり、ショーを終えた最終日の夜に社長の部屋に招かれて、遅くまで「ゲーム制作とテレビ制作」の共通点についての談義に花が咲きました。まるで昨日のことのように覚えています。
そして・・・あの日から1年半。
2004年11月27日。
レベルファイブが全精力を傾けたドラクエ8が世に羽ばたいていったのです。
この感激を分かっていただけますでしょうか?(興奮してすみません)
というわけで、これから2時間だけドラクエ8の世界へ行ってきます。
最後に・・・
日野さん、発売おめでとうございます!心の底からお祝い申し上げます。
◆お待ちかね!COWTVで日野社長のインタビュー(ドラクエ秘話も)オンエア中です!チェキ!

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モチマネワード010:「ドラクエ8とレベルファイブ」

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