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延岡高校校歌に想う

投稿日時:2012/07/05
延岡高校校歌
作詞 渡辺修三 作曲 近衛秀麿

うるわし延岡 輝く母校
明け行く空の ひかりさやけく
ただよう雲よ 川のながれよ
みどりの愛宕を 仰ぎみるとき
希望の風は 胸にあふるる

うるわし延岡 輝く母校
伝統の丘 歴史はふるく
校庭の杜に なにをか想う
教養の花の きそい咲く日を
学びてすすむ 道はひとすじ

うるわし延岡 輝く母校
ああ栄光の あまねきところ
わが学びやの ならびて建てり
若きいのちの 強く正しく
手をとりて行かん 手をとりて行かん

________

青春の想い出が詰まった母校の校歌。
ふと思い立ってその歌詞を調べてみました。

この歌詞を読むだけで、あの頃を思い出してウルっと来ます。

原点を見つめ直すのに、校歌ってイイですね。

育ててくれた故郷に、恩返しします。

高橋康徳

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延岡高校同窓会(延友会)福岡支部 開催情報

投稿日時:2011/04/02
毎年9月に、延岡高校同窓会(通称:延高・のべたか・のべこう)の北部九州支部総会(福岡)が開催されます。会場は福岡市天神の中華料理店・平和楼です。

延岡高校同窓会・北部九州支部(福岡)の開催情報

 ・日時:2014年9月6日(土)15時~18時
 ・会場:平和楼(福岡市天神)
 ・参加費:1人5,000円
 ・参加資格:延岡高校出身者であれば誰でもOK(他地域も歓迎です)


お問合せ
 事務局:吉田純一法律事務所(092-725-3222)←延岡高校の先輩です。

延岡高校同窓会北部九州支部って?

この会は、宮崎県立延岡高等学校の同窓生たちが、年に一度、世代を超えて一堂に集う会です。主に福岡県やその周辺にお住まいの方々が集まってきますが、毎年、延岡・東京・鹿児島など遠方からの参加者もいらっしゃいます。2月の土曜日の昼下がりを同郷の士とともに和気藹々と過ごすのはとても、心休まるひとときです。延岡高校の出身者であれば、どなたでも参加可能。あなたも参加してみませんか?

延岡高校関係の参考リンク
 ・2009年度の延岡高校同窓会・北部九州支部の記事
 ・古川隆社長(中州No.1不動産の福一不動産)
 ・新井洋子社長(九州有数の人材派遣エントリーグループ)
 ・延岡高校とは(ウィキペディア)


カウテレビジョン高橋康徳



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カウテレビジョンについての客観的な声

投稿日時:2010/10/01
カウテレビジョンや高橋康徳についてのBLOG記事

■村尾隆介さん(スターブランド株式会社フロントマン)
 ・感謝! NO.1 起業家に選ばれました!
 ・成功してくれてありがとう
 ・武田双雲の家で、あの日なにが起こったのか?

■堀明則さん(ホープウィルグループ代表)
 ・香港にCOW-TV取材班がやってくる!

■柳川敏昭さん(ツアークリエイションオアシス/ネオ倶楽部 社長)
 ・「カウ・テレビジョン」を訪問しました

■池崎美盤さん(テレビキャスター/TNC時代の同期)
 ・HPリニューアル☆やっと完成しました!

■栢野克己さん(インタークロス/ベンチャー大学)
 ・妻が夫に惚れ直すとき




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夢はどうして叶うのだろう?(2009年度の最後に)

投稿日時:2010/03/31

僕がテレビ局を辞めたのは、2004年3月31日のことでした。

そうです。「6年前の今日」でした。

あの日の想い

「ニュースとは一線を画す、勇気の湧くネタのみ扱う動画メディアを作るぞ!」

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そんな単純な想いだけで、エイヤッと独立した6年前の自分。明確なビジネスモデルもないまま、「想い」だけを心の支えに「何とかなるさ」とテレビ局を退社しました。(もちろん当時は、それなりにビジネスプランを練ったつもりでしたが・・・) 

当時ある起業家の先輩のコトバがその頃の「僕の姿」をも絶妙に表現していました。↓

「あちゃー高橋君、何も持たずに独立しちゃったんだ!」(by 五十嵐健さん)

こう言われて初めて自分の無謀さに気づき、背筋が寒くなりました。

・・・が、既に賽は振られていました。もう前に進むしかありません。

無知・無謀が幸い

ただ、あの時、立ち止まらなくて本当によかったと思う。「無謀だから」「無知だから」「ビジネスモデルが固まっていないから」・・・立ち止まる理由は無数にある。が、所詮「やらない理由」ばかり。それより、「やりたい」という衝動の方が強かったのです。

今だから言えることですが、人生は「想い」があれば、ある程度どうにか道は拓けるものです。現に、当時の「無謀な想い」はあれから6年経った今、1つずつ着実に現実のものになりつつあるんです。これは、本当に不思議な気持ちです。「言えば叶う」の証明でしょうか。↓

現実になった「想い」の数々

独立の1年後、願っていた「勇気・ヤル気の湧くネタのみ扱う」COW-TVというネットTVが誕生しました。「九州を背負ったウシ」の旗の下に頼もしい仲間が集まり始めました。3年後、株式会社カウテレビジョンという会社が生まれました。雑誌の表紙にまで掲載していただきました。当初、視聴者ゼロだったCOW-TVは、今では月間15万人もの視聴者が集まるようになりました。

20100331002.jpg20100331003.jpg

また、当初心配されていたビジネスモデルは、「ネットTVと企業専門の映像制作会社」というビジネスモデルが固まりました。そして企業からの動画の制作依頼も増えました。そのお陰で、クルーの給料も今では世間並みに払えるようになりました。ピエトロ村田社長のご好意で、オフィスも天神に構えることができました。

それもこれも、全ては最初の「想い」が出発点なのです。

そして、その「想い」という種を花咲かせてくれたのが「御縁」だと感じます。

「想い」と「御縁」

どんな緻密な戦略よりも大切なのは、「初心」と1つ1つの「御縁」。6年間を振り返ってつくづく感じます。両親に始まり、生まれて今まで人生に関わってくださった全ての方との御縁の、どの1つでも欠けていたら今の自分はありません。嬉しかったことも、悔しかったことも、悲しかったことも、楽しかったことも、全て含めて御縁に感謝し2009年度を締めくくりたいと思います。

そして明日からも、「初心」と「御縁」を大切にしながら、一歩ずつ夢を実現していきます。

地球の明るい未来のために。

2010年もどうぞ宜しくお願いします。感謝!

高橋康徳/株式会社カウテレビジョン

新・ 凡事徹底リスト
× 早起き6時半時まで
○ 凡事チェック
○ がっちり握手
○ 上機嫌でいる
○ 刺激に出 会う
○ 家族、先祖に感謝
○ チーム、友人、客に感謝
○ お礼ハガキ/メール/FAX
○ 電話は3コール以内で出る
○ ちょっとイイトコ見つけて褒める

【TOPIC1】あなたはどのタイプ?成功の数だけ「リーダーシップ」はある!

【TOPIC2】動画活用セミナーの次回は4月7日!座席を15→30席に増やしました!




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大三角形、ふたたび

投稿日時:2009/11/14

僕がテレビ業界に入ったきっかけ

それは、オーストラリアでの「ある2人との共同生活」でした。

1994年・・・オーストラリアにて

大学4年生のはじめ、21歳の僕は、ワーキングホリデーというビザを取得して人生初の海外遊学に挑戦しました。この、少し遅めの海外デビューが僕の人生を大きく変えることになりました。

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エアーズロックにてイギリスの旅人と

渡航したシドニーで僕は、語学学校へ通うかたわら、日豪プレスという新聞社で働いたり、プールバーに通ったり、VB(ビクトリアビター)など現地のビールを飲み比べたり、ボンダイビーチでパイナップルを売ったり・・・さまざまな活動をしまた。どれも強烈な思い出で、15年が経った今でもそれらは鮮明に僕の脳裏に残っています。そんな「強烈な刺激たち」の中で、もっとも大きかったのが、同居したヴォーンとキムという2人の友人の存在だったのです。

ヴォーンとキム

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ヴォーン(オーストラリア人・男・39歳)は僕より18歳も年上のいわばオッサンでした。が、メンタルはめっちゃ若く、まだ独身で、僕らとよく口ゲンカしました。そんな彼となぜ同居かというと、実はヴォーンは、僕が通う英語学校の講師でした。ヴォーンにとって「英語の先生」というのは仮の姿で、彼の本職は「TVディレクター」でした。

一方、キム(香港人・男・17歳)は僕と同じ英語学校に通う生徒でした。香港から英語とアート・デザインの世界を夢見て留学していた少年でした。繊細で見た目も細く、僕の中での「デザイナー」のイメージ通りのルックスとメンタリティの持ち主でした。

そんな2人との同居生活。共に笑い、時にケンカし、そしてまた笑う。そんな2人のアーティスティックな生き方が、その後、僕をテレビの世界へ駆り立てていくことになります。(彼らとの生活ぶりは面白いけど、書くと長くなりすぎるので、また今度にします)

1995年・・・広島にて

一年後、僕は日本へ戻り、広島大学の4年生として学業復帰を果たしました。ヴォーンはシドニーからモロッコへ渡り、キムは香港へ戻り、僕は広島から福岡へと、まさに世界に広がる大三角形です。ネットもメールもない時代、しかもズボラな3人組の男たち。僕らが交流を続けるには、当時の世界は広すぎました。交流は時と共に細り、やがて3人の一角キムとの連絡がプッツリと連絡が途絶えてしまったのでした。

しかし僕は、どうしてもヴォーンとキムとの日々が忘れられず、逆ホームシック状態。そうして僕が考えたのが、もう一度彼らと繋がるためにテレビの世界を目指そうということでした。「テレビ」というある意味で「アートに近い世界」にいれば、きっとまた彼らと一緒に仕事ができるのではないか?という単純で甘い期待が最大の動機でした。

2009年・・・日本にて

あれから15年。世界にはネット、メールが普及しました。

そして今日。2009年11月14日。

朝6時半。いつものように目が覚めると、ケータイに1通のメール。

20091114001.jpgキムは僕のことを覚えてくれていたようです。
17歳の時に語っていた夢の通り、プロのデザイナーになっていました。彼のサイトを見ると、有名映画のポスターや数々のWebサイトをデザインしてきたという実績がズラリ。正直、驚きました。→キムのサイト(英語)
こうして、僕らの大三角形(日本-モロッコ-香港)は、15年ぶりに、その三辺が繋がりを取り戻しました。「ネットの進化が世界を狭くする」とは良く言いますが、今日ほどそれを心から実感した瞬間はありませんでした。キム、ヴォーン、そしてネット環境の発達に感謝!!

高橋康徳/株式会社カウテレビジョン

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経営に役立つDVD集




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年に1ヶ月は海外で暮らすという夢

投稿日時:2009/08/25

今から5年前。テレビ局を辞め、独立する時に定めた夢の1つに

「年に5回は海外に出る」

というものがあった。

おそらく当時の自分の実力からすると、年に5回というのは無謀だったかもしれない。というのも、テレビ局の8年間で海外出張はわずか3回。単純計算すると1年当たり0.38回。それでも、志は高く持とうじゃないかと「年に5回」を掲げたのだった。

「海外」にこだわる理由

学生時代に「職業としてのテレビ局」という価値観を教えてくれたのはオーストラリア人のヴォーンだった。また、記者時代に「人生は突然終わる」という事実を教えてくれたのは、NY911テロの被害者ジェシカさんだった。こうした経験から、「海外」とは僕に「未知の価値観を教えてくれ、世界を広げてくれる所」なのだ。(きっと多くの方にとってもそうであるように)

20090825000.jpg

そして・・・

そして明日、僕はイタリアに向けて今年3度目の海外ロケに出発する。目標の「5回」にはまだ及ばないが、独立直後には「無謀な遠い夢」だった世界が今、「射程圏内の現実」として目の前に現れている。そして今年の9月以降にあと2回、海外出張を計画中だ。1ヶ所は上海。もう1ヶ所は・・・。

夢はまず描く!言う!

今、僕は当時の自分を褒めてあげたい気分だ。(自画自賛でスミマセンが)

「宣言して、願って、諦めずに、行動し続ければ、その想いはいつか叶う!」

これ、本当だ。

最近のCMでイチローの言葉で「夢は近づくと目標に変わる」というものが紹介されている。これ、僕もスケールの違いこそあれ同じことを肌で感じている。独立して収入が増えることよりも、こうした「生き方」を実現できていることに誇りに感じる。

イタリア、春とはまた違った景色を取材してきたい。

(高橋康徳/株式会社カウテレビジョン)




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心の独立記念日

投稿日時:2009/08/22

「心の独立記念日」

8月22日は、僕にとって大切な意味を持つ日。「心の独立記念日」と呼んでいます。

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僕が独立したのは2004年4月。8年間勤務したテレビ局を辞めて起業したのですが、実は独立に至る「直接の引き金」はそこから約6ヶ月前、2003年8月22日に起きた「ある事件」でした。

書道家・武田双雲邸を訪れる

事件の場所は神奈川の湘南。書道家・武田双雲君の自宅兼アトリエでのことでした。当時サラリーマンだった僕は、先輩に誘われてその武田邸を訪れました。

「湘南に面白い人が集まるから、お前も来ない?」

不思議なのは、サラリーマンの僕が何故そこに行ったのか?今思い出しても不思議です。平日のど真ん中に、会社に休みをもらって、自腹を切って、東京まで日帰りのチケットを買い、さらにバスを乗り継いで湘南までいく・・・それ自体正気の沙汰とは思えません。よほど当時の僕にとって惹かれるものがあったのでしょう。

7人の起業家

到着した武田邸。そこには僕の運命を変えることになる7人の起業家が集っていました。平日に仕事そっちのけで集うことができる「社長」という身分に羨ましさを感じつつ、目の前で繰り広げられる起業家同士の熱いビジネストークに、僕は1人圧倒されっぱなしでした。あれほど強い劣等感を感じたのは、後にも先にも、ないでしょう。その場にいるのが正直辛かった。

そうこうするうちに、その7人の前で、僕が話す番が来ました。

「じゃあ次はタカさん、自己紹介からどうぞ!」

20090822002.jpg

そして「事件」が起きた・・・

僕の自己紹介が始まりました。

「フジテレビ系のテレビ西日本という会社で報道記者をやっている。現在は事件・事故のニュースが主な担当だが、時々ドキュメンタリーも作っている。いずれはドキュメンタリーの専門家として独立したいと思っている・・・」など、7人の起業家たちの前で緊張しながらも自分の想いを一生懸命に語りました。

そして、「事件」が起こります・・・

一体何が起きたのか?ここから先の内容の全貌は、文章で書くより遥かにリアルな「証言」があります。現場にいた1人、スターブランドのRyu(村尾隆介)さんと僕(高橋)とが対談で振り返ったVTRを「社長室101」で公開中です。ご興味がある方は、どうぞそちらをご覧下さい。(下のリンクからどうぞ↓)

◆7人の起業家は高橋に何と言ったのか?奇跡の書道教室とは?

僕に独立を決意させてくれた8月22日。大切な心の独立記念日なのです。

(高橋康徳/株式会社カウテレビジョン)

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○ さわやか元気に挨拶
○ 刺激に会う:SARA小林社長、花巻東の切捨てルーティーン、プルデンシャル青木氏
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× 1日5000歩・・・昨日は4069歩



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故郷の経営者が福岡に集う

投稿日時:2009/07/10

◇2009年7月2日(木)曇り◇

あなたの会社の経営者の出身地はどこですか?

福岡で活躍中の社長さんの中には、全国各地から縁あって福岡に来てそのまま根を張っておられる方も結構多いです。僕自身も福岡の地を心から愛して企業活動をしていますが、元を辿ると「宮崎県延岡市」の出身です。九州の田舎から夢を持って福岡へやってきた1人です。

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そんな「宮崎県」出身の経営者が集う会がこの度発足し、その末席に加えていただくことになりました。会の名は「(仮称)在福宮崎県出身者経営者の会、(略称)在福宮経会」。その第2回例会が7月2日に博多駅筑紫口の八仙閣で開かれました。右の写真はその時に撮っていただいたもの。小山田会長とご一緒にパチリと。

在福宮経会のそうそうたる先輩方

どんな経営者が在籍しているのか?というと、結構スゴイです。上記の総合メディカルの小山田浩定会長をはじめ、キャタピラー九州の牧卓彌会長、ヤマエ久野の柳川信会長、福岡工業大学の鵜木理事長、アダル(業務用家具九州No.1)の武野重美社長、「宝石のゆきざき」でおなじみのジェム・キャッスルゆきざきの柚木崎政秋社長など、そうそうたる方々が約40人が名を連ねておられます。誇らしい同郷の先輩方です。

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福岡を新たな故郷として

故郷を離れ異郷の地に根を張り、事業を営んでいくのは大いなる挑戦ですが、時に、心細さを感じたり何かに救いを求めたくなることも正直あります。そんな時、同郷の先輩たちに話を聞いていただくだけでスッと心が軽くなります。こうした会合は、小さな会社から大企業まで、どのステージにいても貴重な場のようです。お声かけをいただいた小山田会長に心から感謝申し上げます。

そうそう!小山田会長といえば、タイミングよくCOWTVの「社長室101」で新しいインタビューがUPされましたので、どうぞお楽しみ下さい!

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たった一代で社員総数2500人、東証一部上場企業を築き上げた創業者が一体どんな想いでビジネスをしているのか、企業規模の大小に関係なく必見のインタビューです!

総合メディカル小山田浩定会長(社長室No.019)の番組はコチラ

【予告】来週は三好不動産の三好修社長のインタビューが公開予定です!

高橋康徳/株式会社カウテレビジョン



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人生を変えた一日

投稿日時:2009/06/18

僕が独立を決めた葛藤と決断の1日。その実録ドキュメントです。

人生を変えた一日

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2003年08月22日。当時テレビ局の報道記者だった僕は、平日の真ん中に休みを取り、飛行機に乗って関東方面へ向かっていた。行き先は湘南・辻堂。武田双雲という当時売り出し中の若手書道家のアトリエだった。一体何をしに?

きっかけは1本の電話

その約一週間前。香港で商社を営む10年来の先輩・堀さんから電話が鳴った。「来週の金曜に湘南に面白いヤツらが集まるから、来ない?」との誘い。いつもはこんな誘いに乗るような僕ではなかったが、この時はなぜか乗った。武田双雲さんも今ほど有名ではなかったし、誰が集まるのかもよく分からなかった。が、何か感じるものがあったのだろう。サラリーマンの自分がわざわざ平日に休みを取り自腹を切ってまで湘南へ・・・どう考えても合理的な説明ができないが人生は得てしてそんなもの。何かを「感じて」行くことになったのだ。尊敬するリクルート創業者江副氏の言葉「自ら機会を創りだし、その機会によって自らを変えよ」とあるが、その心境か。そして、この日が僕にとっての人生の転機となった。

豪華メンバーと、ちっぽけな自分

湘南のアトリエには主の武田双雲さんをはじめ当時売り出し中の20代~30代の若手起業家7人が集まっていた。

・村尾隆介氏・・・ハワイベスト10ビジネスマンに選ばれた(現スターブランド)
・佐保豊氏・・・名古屋グランパスから独立したトレーナー
・宮内亮氏・・・ニューヨークに会社を持ち日本との橋渡しをしている
・堀明則氏・・・香港で商社など数社経営する
・小菅祥子氏・・・資生堂から独立してオリジナルコスメSHOCOSMEを展開
・五十嵐かほり氏・・・埼玉の酒造メーカーのご令嬢
・武田双雲氏・・・ブレイク前夜の書道家

いずれ劣らぬきらびやかな経歴。テレビ局の報道記者という自分の仕事に誇りを持ってはいたが、彼らと比べると自分が果てしなく小さく思えて心細かった。

自分の甘さを思い知る

今思えばあれほどのメンバーが一堂に会したのが信じられない。とにかく刺激的で、同時に苦しい時間だった。起業家たちが放つ圧倒的なバイタリティと行動力の前に、痛快さを感じつつも、自分の甘さを思い知らされた。目の前の7人は人生を楽しみながらも、毎日に真剣に向き合っていた。彼ら同士が会話をするだけで次々と新ビジネスが生まれていく。僕にとって遠い将来のことだと思っていた起業家の世界がすぐ目の前に広がっていた。・・・そして僕の自己紹介の番が来た。

「高橋康徳といいます。自分はテレビ局の報道記者をしています。今は、事件・事故・火事・不祥事といった、どちらかというと暗いニュースが仕事の中心ですが、いつの日か独立して、明るく人が元気になるような活動にスポットライトを当てるドキュメンタリストになりたいと思ってます」そんなことを汗をかきながら一生懸命に語った。・・・すると、その場にいた全員が僕を指差してこう言ったのだ。

「やればいいじゃん!」

この一言で僕の迷いは吹っ切れた。この日の夜、福岡に戻った僕はこの湘南で起きた一部始終を記録した映像を妻に見せながら「独立したい」と話した。それまで独立に乗り気とは言えなかった妻が初めて「じゃあ、頑張ってみる?」と認めてくれた。2003年8月22日のことだ。この日から僕は独立の道を歩み始めた。今、僕のGoogle Calendarの「8月22日」の欄には「心の独立記念日」と記されている。

(高橋康徳/カウテレビジョン)

後日談

この2003年8月22日は偶然にもスターブランドの村尾隆介さん(リュウさん)の30歳の誕生日でした。先月福岡で村尾隆介×COWTVで開催した「小さな会社のブランド戦略セミナー」で余談的に話したところ、リュウさんがブログで記事にしてくれてました。→武田双雲の家で、あの日なにが起こったのか?



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【懐古】大学時代バイトで教わった事

投稿日時:2009/05/29

こんばんは。「聞き上手」研究家の高橋です。
話す・書く・読む・聞くのコミュニケーション4種のうち、実に65%が「聞く」です。
つまり、「聞くを制する者が人間関係を制す」のだと思うのです。

◇2009年5月29日(金)◇ 5月なのに風が強くて肌寒い1日でした

九州大学伊都キャンパスで講義して下さい!

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朝、電話が鳴った。相手はインターンシップ推進協議会の中原さん。数年前からCOWTVは毎年数人の学生インターンシップを受け入れている。今回もその件かと思いきや、今日は違った。用件は大学での講義依頼だった。

「高橋さん、九州大学の伊都キャンパスで講義してもらえませんか?大学時代とかテレビ局時代とかのテーマでお願いできませんか?」

もちろん2つ返事で受けた。頑張る学生を応援するのはCOWTVのミッションの1つだからだ。

そういえば僕も、学生時代に、いろんな企業の方にバイトとかで多くのことを教わった。

大学時代にお世話になったアルバイト先

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大学に入ってすぐにお世話になった「トライグループ」では"営業マンのイロハ"を教わった。約1年間で120軒もの家庭を訪問した。当時はバブル期ということもあって、ついこないだまで高校生だった僕でも、家庭教師の契約が面白いようにもらえた。組織の学生リーダーも任されたが全然上手くいかず、悩んで悩んで、髪の毛が抜けまくったこともあった。シャンプーが恐かった。

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大学2年の頃は広島有数の飲食グループ「ヒロコシグループ」でバイトさせてもらった。社運を賭けて建てたという会員制ビル「ルッソ」のオープニングスタッフとして、3Fのフレンチレストランと4Fの高級クラブで働いた。ワインボトルの開け方、サービスの作法、テーブルマナーなどを教えていただいた。また、クラブの黒服として「お水の世界」を体験したのも今となっては貴重な経験だ。

3年生になると、大学が田舎(東広島市)に引っ越したこともあって、竹原市の簡保の宿「賀茂川荘」にお世話になった。ここでは「どんでん」と言われる「宴会場の短時間での総入れ替え」を体験した。その後にやってくる大量の洗い物を狂ったように洗いまくった。「仕事のスピード」を初めて意識したのもこの頃だった。

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そして休学時代~大学4年の頃は「日の出引越しセンター」に毎日のように通った。今となっては信じられないような、日給1万1000円という破格の待遇。バブルのなせる業?しかも、重いものをガンガン運ぶので体も鍛えられて一石二鳥。洗濯機くらいなら1人で持て!の世界だ。そして、最大の醍醐味は、お客様からの「ご祝儀」だ。3人で1万円とか・・・もう最高!とにかく朝から晩まで毎日つなぎ姿で働いて留学資金を貯めた。おかげで「引越し」は、今も僕の得意技の1つだ。

そして今

こんな大学5年間を送りながら僕は、色んな大人たちに「社会人のイロハ」を教わった。心から感謝している。今度は自分が返す番だ。そしてそれを返すのは、先輩たちに対してではなく、後輩に対してすべきだと思う。九州大学からのオファー、ありがたく務めさせていただきたい。

推薦いただいた中原さん、ありがとうございました。

高橋康徳/カウテレビジョン



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代表取締役 高橋  康徳のブログ

高橋 康徳【プロフィール】

代表取締役 高橋 康徳
高橋 康徳
㈱カウテレビジョン代表取締役
【事業内容】
1. 情報発信コンサルティング
・誇大表現せず
・分かりやすく
・共感を呼ぶ
情報発信サポート事業
2. 動画制作事業
3. モチアップ早朝勉強会事業
【経歴】
広島大学(理学部化学科)卒業後、テレビ西日本(フジ系)入社。報道記者として9.11米同時多発テロのNY特派員記者を経験。テレビ局時代の8年間でニュース約3000本を取材。現在は福岡・香港を拠点としながら、世界で活躍する経営者の取材をライフワークとし、インターネットTV局「カウテレビジョン」を九州最大規模にまで育てる。国立九州大学非常勤講師も務めるなど、そのユニークな経歴から大学・企業・自治体からの講演依頼も多い。2005年福岡市ビジネスプラン大賞、2010年九州アントレプレナー(起業家)大賞など。趣味:釣り、スキー、インタビュー。
2004年 創業
2005年 カウテレビジョン開局
2007年 株式会社カウテレビジョン設立
詳細プロフィールはコチラ
【賞歴】
2010年 ニュービジネス協議会
アントレプレナー大賞
 

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