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【余談】第2の故郷・シドニー

投稿日時:2009/01/29
おはようございます!
いきなりですが、あなたにとって「第2の故郷」ってどこですか?
高橋にとって第2の故郷はシドニー。今日は完全余談BLOGです。

◇2009年1月29日(木)◇ 晴れ

20090129001.jpg僕は学生の頃からほぼ2~3年に一度はシドニーを訪れています。シドニーは僕にテレビの世界のきっかけを与えてくれた土地。今でも友達が多くいるので、「帰省」のような感覚で行き来しています。

ところで今の時期、南半球に旅行すると不思議な感覚に襲われます。その原因は、時差・・・ではなく気温差にあります。(時差はサマータイム期間でもたったの2時間なので問題なし)

今の時期、福岡の気温が約10度、シドニーの気温は約30度。その差20度以上!飛び立つ前は真冬、飛行機に乗って、到着したらいきなり真夏なのです。

シドニーという都市は美しいビーチが点在していることで有名で、僕も1週間程度の滞在期間中、必ず2,3回はビーチへ泳ぎに行きます。ところが、頭では「夏!」と分かっていても、体は依然として冬モード。水に飛び込むのを体が勝手に拒否します。

帰国すると再び冬。ビーチですっかり日焼けした顔色も帰省の証!です。

あなたの第2の故郷はどこですか?

高橋康徳/カウテレビジョン

今日のモチベーションUPワード
No.628:第2の故郷・シドニー

凡事徹底リスト
 ○ 早起き6時半時まで 7コンボ
 ○ 凡事チェック
 × 新聞(ニュース)
 ○ がっちり握手
 ○ さわやか元気に挨拶
 ○ 刺激に会う
 ○ 家族、先祖に感謝
 ○ チーム、友人、客に感謝
 ○ お礼ハガキ/メール/FAX
 ○ 電話は3コール以内で出る



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プラスの「氣」ってどこから来るの?

投稿日時:2009/01/03
おはようございます。
正月3日目も、なんとか6時半起床に成功!3日連続。
三日坊主バトルもクライマックス突入@高橋康徳36歳です。

さて、昨日の「氣」の話の続きです!(※参考リンク→2009年の一文字は?
 
◇2009年1月3日(土)◇ 帰省中の延岡は快晴です
 
人の心理を投影する「氣」ですが、
だからこそ知りたいことがあります。それは、
 
<質問>プラスの「氣」を出すコツは?
 
 
この質問の答えを、あれこれ考えてみたんですが、
やはり、
 
 
2009010301.jpg
しかないと思います。


 
 
 
ありきたりですが、僕にとっては「見落としがち」な弱点です。
そこで今日は、「身の回りの幸せ」に思考をめぐらせてみます。
 
 
苦労して得たもの

 1.独立(それ自体、思い立ってから3年以上もかかった)
 2.家族(結婚、7年目にして授かった娘)
 3.ご愛顧くださるお客様方(どの1つを取っても簡単ではありませんでした)
 4.天神のオフィス(4年間の自宅マンションSOHO時代の夢だった)
 5.仲間の社員クルー(親の反対を押し切ってまで飛び込んできてくれた)
 6.カウテレビの映像ノウハウ(地上波テレビ+ネットテレビの経験の融合)
 7.今なお可愛がって下さる前職の先輩方(初めは相手にされなかった)
 8.経営の志(4年半、コツコツ勉強会に通って練り上げてきた)
 9.社長室101の社長インタビュー集(4年間コツコツ蓄積してきた)
 10.カウテレビの会員様(4年間の蓄積のたまもの)

 など、まだまだ出てきます・・・。
 
これらは、「得る前」はそうなりたい!なるぞ!と心から願い・祈り・希望し、
いくつものハードルを乗り越え七転八倒した末にようやく「得た」ものです。

ところが、「得たとたん」にコロッと忘れてしまうのです。悪い癖です。
 
 
氣を感じる

こうして書き出すと、そこに自分の歩いてきた道があり、人があり、
そして、ここにこそ、まさに感謝の対象があります。

不思議と、こうして書き出すことによって、今なんだか
自分の中から「プラスの氣」が湧き上がってくるのを感じます。
 
忘れるな!感謝。

高橋康徳
 
※いいアイデアを思いつきました。
この「忘れてはならぬこと」をブログのサイドバーに入れておき、
1年間いつも目に付くようにしておくといい!すぐやろう!! 
 
今日のモチベーションUPワード
No.602:良い「氣」を出すコツとは?

凡事徹底リスト
 ○ 早起き6時半時まで ※2009年の決意を込めて7時→6時半に改定!
 ○ 凡事チェック
 ○ 新聞(ニュース)
 × がっちり握手
 ○ さわやか元氣に挨拶
 ○ 刺激に会う:延岡の家族
 ○ 家族、先祖に感謝
 ○ チーム、友人、客に感謝
 ○ お礼ハガキ/メール/FAX
 - 電話は3コール以内で出る


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【メモ】スピードは顧客満足の最低条件

投稿日時:2008/12/27
2008年12月27日(土) 晴れ

PCを整理してたら古い写真が出てきました。
20081227.jpg
高橋の幼少期、妹・弟と3人で写った限りなく最初の写真です(後ろが自分)

ところで、最近のノート記録を忘れないうちに復習!

☆「スピード」は顧客満足の最低条件

☆間をおいた反復
 →広告もしかり、社員教育もしかり、顧客接触もしかり

☆クレドのあり方
 →これに沿ってサービスすればお客様が必ず満足して下さる!と確信できるもの

☆スタッフの判断トライアルをまず認める
 →現場で「ベストを尽くした」ということをまず認め、確認する
 →その上で、もっと良い判断があったら次からできるよう提示する

☆3段階のサービスレベル
 (1)お客様のニーズに気づかない
 (2)ニーズに気づき、求められて初めて動く
 (3)ニーズに気づき、先回りして動く
 →レベル(3)で動けるかどうかは、それを「したいかどうか」にかかっている

今日のモチベーションUPワード
No.599:スピードは顧客満足の最低条件

凡事徹底リスト
 ○ 早起き7時まで
 ○ 凡事チェック
 × 新聞(ニュース)
 ○ がっちり握手
 ○ さわやか元気に挨拶
 ○ 刺激に会う:屋台でクルーと飲みました
 ○ 家族、先祖に感謝
 ○ チーム、友人、客に感謝
 ○ お礼ハガキ/メール/FAX
 ○ 電話は3コール以内で出る



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社長の、社長による、社長のための新聞

投稿日時:2008/09/23
◇2008年9月23日(火・祝)◇ 晴れ

東京ランチの呼びかけに応じてくださったサルサル、ノリ君、あらいさん、ういこさん、高橋さん、ありがとうございました。26日は楽しくやりましょう。他の方も「ワイワイ状態OK」なら、今からでも間に合いますので、僕のケータイまでメールか電話でご連絡下さい。予定は11時~15時です。

社長のためのニュースレター創刊

この度2008年9月からカウテレビジョンでは、会員企業限定の「社長タイムス」という新媒体を発行しました。そのコンセプトは「社長の、社長による、社長のためのニュースレター」。テーマも社長、執筆者も社長、そして読者も社長という、経営者の役に立つ記事を提供していきたいと思っています。

20080923cowtv01.jpg

早速、感想FAXも続々とありがとうございます。淵様、飯田様、松尾様、高橋様、豊田様、古川様、中島様、中山様、船越様、吉田様、中村様、柴田様、塚脇様、清水様、坂田様、貴重なご意見ありがとうございました。

(高橋康徳)

今日のモチマネワード  
モチマネワード581:社長の、社長による、社長のための新聞

関連リンク
インタビュー番組「社長室101」TOP
5分で元気が出るDVD

凡事徹底リスト
 × 早起き7時まで
 ○ 凡事チェック
 ○ 新聞(ニュース)
 ○ がっちり握手
 ○ さわやか元気に挨拶
 ○ 刺激に会う:飯田さんのカット技術
 ○ 家族、先祖に感謝
 ○ チーム、友人、客に感謝
 ○ お礼ハガキ/メール/FAX
 ○ 電話は3コール以内で出る



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あなたの36年間は、母親の36年間

投稿日時:2008/05/30
◇2008年5月30日(金)◇

おかげ様で本日、36歳の誕生日を迎えました。

大学進学のために延岡の実家を離れたのが18の時。あれからちょうど18年が経ち、両親の元で育った期間と同じ長さの時間を、両親以外の数え切れないほど大勢の方々と過ごしてきました。周囲の方々から様々な教えと影響を受けて、今の自分自身があります。

20080530cowtv01.jpgそう思うと、感慨深い36歳の誕生日です。昨日届いた母からの手紙には、こんなことが書いてありました。

「あなたの36年間は、母親の36年間でもあります」

両親と、家族と、仲間と・・・大勢の方への感謝の気持ちで、この1日を過ごします。ありがとうございます。


お知らせ(カウTV秘話を語ります)

2005年2月1日に生まれたカウTV。
今でこそ九州最大級のネットTVとして知られるようになってきましたが、最初はもう失敗の連続でした。自宅マンションのキッチンで500円の椅子で、社員は自分ひとり、あとは数人の学生たち・・・。どうやって営業活動をしてきたのか、ビジネスを展開してきたのか?カウTVの誕生秘話について、初めての講演します。



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カウTVクルーの仕事について

投稿日時:2008/03/12
カウテレビジョンのクルーの仕事には、制作部門として、映像制作に関わる「ディレクター」・「インタビュアー」・「リポーター」・「カメラマン」・「エディター」、また、営業部門として提案営業を行う「企画営業」、そしてマーケティングを行う「マーケッター」の職種があります。それぞれの仕事と役割について以下で説明します。

ディレクター
20080101cow00.jpgディレクターは、番組企画・構成・原稿執筆などを担当します。現場指揮官であり、カメラマンに撮影指示を出したり、リポーターのトークを決めるのもディレクターの仕事です。また、ディレクターには「進むか?退くか?」等の判断も求められます。広範囲な情報収集と冷静な判断が同時に求められるのがカウTVのディレクター職です。

インタビュアー
20080101cow02.jpgインタビュアーとは、現場で取材相手から話を聞き出す仕事です。聞き手のスキルやコンディション次第でインタビューの内容に雲泥の差が出る大変重要な仕事です。カウTVではクレド第3条に「聞き上手で人生を豊かにしよう」とある通り、会社を挙げて「聞くスキル」の向上に努めています。

リポーター
20080101cow03.jpgリポーターとは、マイクを持って現場に潜入し、体験するなどカメラの前で報告する仕事です。カウTVリポーターの例は「お悩み相談TV」の本山順子や、「トツナナ東大」で登場した麻生要一・永松研二など。本山順子さんのような民放テレビ局キャスターとガチンコできるのも、カウTVの醍醐味の一つです。

カメラマン
20080101cow05.jpgカメラマンとは、現場で何を撮るのかを判断しながら被写体にカメラを向け撮影する仕事です。カウTVがドキュメンタリーやニュースの手法を得意としているのは、カメラマンの瞬時の判断と冷静なカメラワークのお陰です。カウTVではVJ講座という週イチ勉強会でレベルアップし続けています。

エディター(編集マン)
20080101cow04.jpgエディターとは、カメラマンが撮影した映像をノンリニア編集機で加工編集していく仕事です。「編集」と一口に言っても、映像カット、結合、テロップ、MA、Web加工とその仕事は多岐にわたります。中でもカウTVのWeb加工(ストリーミング)の技術は国内でも最先端レベルを誇り、さらに進化を続けています。

企画営業
20080101cow08.jpg企画営業とは、お客様に合わせた番組を企画し、提案し、買っていただくという仕事です。企画営業マンに求められるのはヒアリング力と創造力。まずお客様の意向を余さず聞き出した上で、最大限のクリエイティビティを発揮して番組企画を練り上げねばなりません。クライアント企業にとって心強い知恵袋となる存在です。

マーケッター
20080101cow12.jpgマーケッターとは、市場の動向を観察しながらカウTVの番組や映像コンテンツの方向性を提案する仕事です。世の中が一体何を求めているのか、どんな番組をオンエアすれば視聴者が歓んでくれるのか、調査・分析し、企画を立案していきます。カウTVの花形ポジションであるのと同時に、シビアに結果が求められる職業でもあります。


その他の参考情報
1.COWTVの仕事について(当ページ)
2.採用活動
3.インターンシップ
4.COWTVの社内制度
5.このBLOGの趣旨




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高橋康徳について

投稿日時:2007/02/02

幼少期~テレビ局への就職活動

20090311003.jpg

皆さんはじめまして。高橋康徳と申します。

僕は、1972年に宮崎県延岡市という田舎町で生まれました。海と山と川の大自然に恵まれた故郷・延岡で成長した後、高校卒業と同時に広島大学理学部化学科に進学しました。

大学卒業には5年間かかりました。専攻は化学(Chemistry)でしたが、大学3年時に知り合ったオーストラリア人の放送作家ヴォーン氏に強く影響を受け、「自分もテレビ局で働く!」と意志を固めました。

そしてテレビ局への就職活動を開始しました。

時は1995年。あの、阪神大震災や地下鉄サリン事件が起きた大混乱の年でした。僕はどうすればテレビ局の人に自分を気に入ってもらえるか?と考え、自分の専攻だった化学の知識とニュースで持ちきりだったサリン事件を組み合わせて、面接でこんな話をしました。

「サリン事件の報道は、いたずらに恐怖を煽ってばかりに見えます。自分だったら、化学の知識を活かしてもっと視聴者に役立つ情報を流します。例えばサリンは水をかけると簡単に加水分解する物質ですよ!とか・・・」

テレビ局の役員面接で力説した結果、なんとか福岡のフジテレビ系列のテレビ西日本(TNC)から採用していただきました。


テレビ局時代

20090311004.jpg

テレビ西日本(TNC)には1996年~2004年3月まで丸8年間お世話になりました。TNCは今も僕の故郷です。本当に感謝しています。僕はこの会社で社会人としての基礎を教わり、その後社会で生きるための力をつけさせていただきました。

テレビ局時代の8年間は一貫して「報道記者」でした。記者の仕事は「事件や事故の現場に直行し警察や消防・目撃者などに取材してイチ早く情報を伝える」というもの。アナウンサーがスタジオで読む原稿を書いたり、時には現場からリポートや生中継も記者が担当します。

8年間で書いたニュース原稿は約3000本。ガルーダ航空機の炎上事故や、対馬沖のタンカー沈没事故、鹿児島の大地震、台風19号といった数々の事件や事故・災害のほか、2003年の民主党大躍進の総選挙や鳥インフルエンザ、SARSなども担当しました。記者クラブは、福岡県警、福岡地方裁判所、福岡高等裁判所、同小倉支部、北九州市警察部、北九州市役所、福岡県庁。

聞く力、メモる力、まとめる力、伝える力など現在のカウTVに生きる力のほぼ全てを教わったのはこの報道記者時代でした。


転機-911テロ取材

2001年9月11日。アメリカで、911同時多発テロ事件が発生しました。

20090311011.jpg

テレビを見て「これは大変だ・・・」と思いつつも、どこかテレビの向こうの世界のことで全く現実感はありませんでした。まさか、数日後に自分がそのニューヨーク行きを命じられるとは夢想だにしませんでした。

そんな中で、運命のめぐり合わせが起きたのです。

テロの3日後の昼過ぎ、TNCの北九州支社(当時の勤務先)に1本の電話が入りました。電話の主はTNC本社の坂田部長。部長は単刀直入に・・・

「高橋、お前ニューヨークに行くか?」

「え?」

「テロの現場に取材に行くか?」

「・・・・・・」

「どうか?」

「行かせてもらえるんでしたら」

「よし、荷物まとめて本社に上がって来い!」

「はい。分かりました。」

短いやり取りでした。この時の僕の心境はというと、決して平常心ではありませんでした。しかし、NOという思いはありませんでした。身の危険や恐怖も確かに感じましたが、それよりも、「あの、歴史に残るであろう現場を、この目で直に見たい!」という、記者の本能みたいな感情が勝ったのでした。その中で1つだけ申し訳なかったのは、妻に何の相談もなく現地行きを決めたこと。NY行きを告げた時、彼女は僕の身を案じて泣いていました。

こうして僕はFNN系列(フジ系)の現地の助っ人記者の1人としてニューヨークへと派遣され。現地到着はテロの5日後。このNYでの2週間が、その後の僕の人生を大きく変えることになりました。


ジェシカさんとの出会い

現地入りした僕は、マンハッタンの西側に設置されていた被災者救済センターの取材を命じられました。日本人被災者の関係者はどなたも取材に応じていただけない状況だったため、僕たちは外国人の誰かに取材させていただくべく当たることにしました。その結果、テロで最愛の夫を亡くした40代の女性が取材に応じて下さったのです。ジェシカさんというユダヤ人女性でした。

ジェシカさんのご主人はWTCビルの最上階にあった「Window of The World」というレストランでソムリエとして働いていたそうです。そして残酷なことにテロ前日の9月10日は、2人の結婚記念日だったというのです。「こんなことになるんだったら最後の夜をもっと盛大に過ごしたのに・・・」彼女は涙ながらに語りました。

「たった1日で、私の人生は、全く別のものに変わってしまったの」

その言葉を聞いた瞬間、僕の中に、それまで意識したことのなかった感情が浮かんできました。自分が漠然と抱いていた「自分は60歳か70歳まで元気に働いているだろう」という未来の根拠の希薄さに気づいたのです。目の前のジェシカさんは、元気だった夫をある日突然失い、自分の人生までもが大きく変わってしまったのです。

「人生は一度きり」とか「命は儚い」という言葉は知っていましたが、生まれて初めて現実味を持って直面したのがこの時でした。この日から僕は自分の未来を生まれて初めて真剣に考え始めたのです。

「人生は一度きり。報道記者は自分が人生を賭けて遂げる仕事なのだろうか?」

仕事と人生について、来る日も来る日も考えて考えて・・・そんな日々が始まりました。


自分の仕事を振り返ってみる

僕が作ってきたニュースの大半は事件・事故・災害・テロ・不祥事など、世間のネガティブ情報ばかりでした。先輩たちからは「事件事故の硬派なニュースこそが記者の本分だ!」と教わりましたが、どうも自分には、その"硬派なニュース"に人生を賭けるイメージが沸きませんでした。

一方で、心から誇りに思えるタイプの仕事がありました。それがドキュメンタリーでした。博多人形師の奮闘を追ったドキュメンタリーやゲームのレベルファイブ社に密着したドキュメンタリーなど、高い志で奮闘する人物の努力に密着し、実録ドキュメントとして番組化する。その番組を見た視聴者が元気や勇気を感じてくれる・・・そんなポジティブな番組作りこそ、魂を100%燃やせると感じたのです。

しかし一方で、

「テレビ局の正社員という恵まれた立場を捨てるなんてもったいない!」

という別の自分がいたのも事実した。さらに先輩たちからは

「ドキュメンタリーなんてコストパフォーマンスの悪い仕事で独立するのは無茶だ!」

と助言されました。僕はこの間2年以上、悶々と迷い続けていました。


7人の起業家との出会い

「独立するか?記者を続けるか?」

テロから2年近くが経った2003年8月、1本の電話が鳴りました。相手は大学時代のゼミの1つ先輩の堀明則さん。香港で独立して日本と外国を繋ぐビジネスを展開中の起業家でした。そんな堀さんからのお誘いの電話でした。

「今度の金曜日に湘南に面白い奴らが集まるから、お前も来ない?」

唐突なお誘いでしたが、何か惹かれるものを感じた僕は湘南に向かいました。平日に無理やり休みを取って、航空券を買い、羽田からバスで1時間以上かけて湘南まで行ったのです。こんな誘い「普通は断る所だろ?」と、今でもそんな気がしますが、当時の僕は何かを感じたようでした。そしてその期待通り?に「事件」が起きたのです。

20090311005.jpg

湘南。訪問した先は、当時若手書道家として注目され始めていた武田双雲さんのアトリエでした。そこに僕を含めて20代~30代の9人が集まってきました。面子を見ると、僕とIBMの若手部長さんを除く7人が社長やフリーランスという起業家たちでした。

元ホンダの中近東マーケッター村尾隆介さん(現スターブランド社)、ニューヨークでビジネスをしている宮内亮さん(現ディライトニューヨーク社)、埼玉の酒屋の五十嵐香保里さん、名古屋グランパスエイトの元プロトレーナー佐保豊さん、香港の商社マン堀明則さん(現ホープウィル社)、書道家・武田双雲さん。オリジナルコスメブランドを持つ小菅祥子さん。その後の彼らの活躍ぶりを見ると、この日にこの面子が揃ったことが今では信じられません。

自己紹介が始まりました。そこで繰り広げられる光景に僕は衝撃を受けました。それは「社長×社長=ビジネス発生」という光景でした。起業家同士が出会うことによってビジネスが次々と生まれる様子を目の当たりにしたのです。例えば、南米チリに詳しい佐保さんがチリで人気の「レタスクリーム」という商品を語ると、商社の堀さんが「輸入しよう」と言い、コスメのショーコさんが「じゃぁ国内の流通ルートは・・・」といった感じで、どんどん目の前でビジネスが生まれていくのです。サラリーマンの僕には「衝撃」としか表現できない世界でした。なんだか悔しく、羨ましく、同世代の彼ら全員の姿が眩しくて仕方ありませんでした。


Just Do It! 独立を決意

そして僕に自己紹介が回ってきました。

「僕は福岡のテレビ局で報道記者を・・・(中略)・・・将来はドキュメンタリー作家として独立したいです」

すると、その場の全員が即座が反応しました。

「独立すればいいじゃん、応援するから!」

「取材のネタだったら、ほら、ここに大勢いるし」

心がグラグラと揺れました。

「独立したい・・・ドキュメント映像で勝負したい・・・」

その日の午後。武田双雲さんによる「起業家の書道教室」が行われました。それがまた心ときめく内容で、僕は湘南を出る頃にはすっかり「ああ、こういう人たちとビジネスがしたい・・・そういう人生を歩みたい」と、独立のことしか頭にない状態でした。振り返ると極めて単純な思考ですが、逆を言えばこのきっかけがなかったら、僕の独立はいつになったか分かりませんでした。

その夜、福岡に戻った僕は妻に湘南で撮影したビデオを見せながら語りました。

「こんな人たちとワクワクするビジネスがしたいんだ。独立させてほしい!」

その時、それまで独立に乗り気でなかった妻が、初めてこう言いました。

「この映像を見たら、やってもいいかな・・・という気がするね。」

僕の独立が決まった瞬間でした。


今も繋ぐこの日の想い

現在のカウテレビジョンは「映像(番組)で企業や商品の良さを伝えて視聴者に共感買いしてもらう」のがビジネスの中心ですが、こう振り返ると、僕はまさに自分自身の独立の一歩目を、妻というクライアントに対して、映像で切り拓かせてもらったのでした。こうした経験があるからこそ僕は自信を持って映像の力をお客様に勧めることができるのだと思います。

(※実はCOWTV社内の収録ビデオテープライブラリに蓄積された数千本の記録テープの中の、No.0001と0002こそ、この2003年8月22日日の様子を撮影されたものです。これはいつか折を見て公開したいと思います。)

湘南のあの衝撃の1日から半年後の2004年春。僕は半年間の引継ぎ期間を経てTNCを円満に退社しました。まずはフリーランスのテレビ番組作家(ドキュメンタリー作家)として活動することに決めました。5月20日、スピンアウト有限会社(カウテレビジョンの事業母体)を法人登記し、いよいよ念願かなって起業家の道を歩み始めたのでした。

法務局で会社登記を終えた後、妻と天神の小さな店でランチを食べながら「会社が安定するまで贅沢できないから、これが最後の贅沢ね」と、800円の“最後のランチ”を食べたのを、今も昨日のように覚えています。


起業後、いきなり廃業の危機

20090311009.jpg

が、独立への道はやはり甘くはありませんでした。意欲満々の僕に突きつけられたのは「厳しい現実」でした。独立初年度に稼いだ売上げはわずか650万円。「年商」で650万円です。それまで「年収」で1000万円以上をいただいていた自分には信じられない数字でしたが、それが現実でした。開業資金はどんどん減り、一年目にいきなり倒産の危機でした。原因は今なら分かります。明らかに「僕自身の無知」にありました。

それまでテレビ局の記者であれば「作れば誰かが売ってくれる」という立場でしたが、独立すると「製品を作るのも自分、売るのも自分」でした。営業なんて家庭教師派遣のアルバイトで少しかじった程度の自分が直面したのは「営業力」という課題でした。先輩たちが「やめとけ!」と言ってくれた助言が現実味を持って僕の脳裏に浮かび上がってきました。けど、時すでに遅しです。


インターネットとの出会い

20090311007.jpg

どんどん減り続ける資金、毎日感じるのは自身の無力さばかり。「このままでは遅かれ早かれ廃業するしかない・・・」と気持ちばかりが焦る中、ある出会いが僕を「底なし沼」から救ってくれました。それは、インターネットで映像配信の仕事を進めていた「カタオカキカク」という同じ福岡のベンチャー企業との出会いでした。

カタオカキカクの片岡社長は僕が作った映像を見るなり、こう言いました。

「僕は高橋さんのような人と会いたかったんです!」

聞くと、片岡社長はそれまでネット上の映像配信ビジネスをしたくて試みていたものの、『自分の制作する映像は素人の域を出ない、テレビ番組のような人の心をぐぐっと掴むことのできる映像をインターネットで配信したい』と感じていたといいます。

こうして僕は、後にインターネットTV局「カウテレビジョン」の発想の根幹となる「インターネットの映像」という新分野と出会ったのです。報道記者としての経験とスキルを最大限に活かせる場として。そしてこの日から僕と片岡さんとのタッグプレーが始まったのでした。


そして今・・・

2005年2月1日、片岡さんの力を借りながら僕は背水の陣でインターネットTV局カウテレビジョンがオープン。事業内容は「インターネットTV局の運営と映像を使った企業の商品プロモーション支援」です。まだYoutubeの「ユ」の字もこの世にない時代でした。周囲の心配をよそに、同年9月、カウテレビジョンはそのビジネスモデルが評価され、福岡市主催ビジネスプランコンテストでグランプリを受賞することができました。

20090311006.jpg

そこから徐々にではありますが、僕たちの商品に興味を持ってくださる会社が増え始め、今では福岡を拠点に130社1100本超の企業の映像を手がけることが出来ています。

こうして半生を振り返ってみると、人生のあらゆるターニングポイントに「人との出会い」があり、それらの出会いのお陰で自分のこれまでの世界は広がってきたのだと実感します。

この文章を読んでくださるあなたとも、こうして人生で接点を持てたこと自体が奇跡だと言えます。ご縁に心から感謝いたします。

最後まで読んで下さってありがとうございました。

(高橋康徳 株式会社カウテレビジョン代表取締役)

(2007年2月2日初版投稿/2009年3月11日追記/2010年10月26日追記)



その他の参考情報

1.COWTVの仕事について
2.採用活動
3.インターンシップ
4.COWTVの社内制度
5.このBLOGの趣旨



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このブログの趣旨について

投稿日時:2007/02/01
当ブログへのご訪問ありがとうございます。

20081210cowtv02.jpg私は福岡でカウテレビジョンというネット動画の会社を経営している高橋康徳と申します。このブログは、私、高橋の日常の「気付き」や「想い」をアウトプットするもの。いわば「独り言」集です。

私は大学卒業から8年間、テレビ局(フジテレビ系列・福岡)の報道記者としてニュースやドキュメンタリーの現場で働いてきました。2004年に独立し、報道時代の経験を元に「実名・顔出し・ウソつかない」を大原則とした企業プロモーションビデオの企画・制作を行う傍ら、同時に展開しているのが「カウテレビジョン」というインターネットTV局です。

「忘れないうちにメモれ、そしてイチ早くアウトプット!」8年間の報道記者生活の中で上司や先輩から徹底的に叩き込まれたのがこの教えでした。カンタンに聞こえますが、この「すぐに」というスピードがとても重要で意外と難しいのです。「見たこと・聞いたこと・感じたこと」をスピーディーにメモ(凍結)すること。そうしないと、記憶はすぐに曖昧になります。だから、できるだけ現場にいるうちにその臨場感を言葉に落としておくことが大事なのです。

最近は「メモ」の代わりに「デジカメなどのボイスレコーダー」を使うことも。現場をいかに新鮮なまま凍結するかが、アウトプットの質を左右します。というわけで当ブログはインプットとアウトプットをどんどん繰り返していくための「量稽古」のつもりで思いつくままに書き留めていきたいと思います。



どうぞ温かく見守ってやって下さい。

2008年12月吉日 高橋康徳

【関連記事】
高橋の経歴・プロフィールなど


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代表取締役 高橋  康徳のブログ

高橋 康徳【プロフィール】

代表取締役 高橋 康徳
高橋 康徳
㈱カウテレビジョン代表取締役
【事業内容】
1. 情報発信コンサルティング
・誇大表現せず
・分かりやすく
・共感を呼ぶ
情報発信サポート事業
2. 動画制作事業
3. モチアップ早朝勉強会事業
【経歴】
広島大学(理学部化学科)卒業後、テレビ西日本(フジ系)入社。報道記者として9.11米同時多発テロのNY特派員記者を経験。テレビ局時代の8年間でニュース約3000本を取材。現在は福岡・香港を拠点としながら、世界で活躍する経営者の取材をライフワークとし、インターネットTV局「カウテレビジョン」を九州最大規模にまで育てる。国立九州大学非常勤講師も務めるなど、そのユニークな経歴から大学・企業・自治体からの講演依頼も多い。2005年福岡市ビジネスプラン大賞、2010年九州アントレプレナー(起業家)大賞など。趣味:釣り、スキー、インタビュー。
2004年 創業
2005年 カウテレビジョン開局
2007年 株式会社カウテレビジョン設立
詳細プロフィールはコチラ
【賞歴】
2010年 ニュービジネス協議会
アントレプレナー大賞
 

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